はじまりと想い THOUGHT

島根県野井町の漁港風景
永幸丸ファミリーのイラスト

こちらでは私たち永幸丸の今まで、そしてこれからの航路を語っています。 少し長いですが、私たちの想いに触れていただけたら幸いです。

EPISODE 01自分たちに本当に
必要なコトとは?

私たち家族が自分たち自身と向き合うキッカケになったのは、まだ横浜で暮らし、会社勤めをしていたコロナウイルス感染症の流行初期。先の見えない環境への不安から、多くの人たちがスーパーに押し寄せ、商品棚から物が無くなり、また他のスーパーやコンビニへ走る。世界中の誰もが経験したことのない不安と直面していた時に、目の前で起こる状況から感じたのが「購入者の弱さ」であり「生産者の強さ」でもありました。 もともと夫婦二人とも健康というコトに興味を持っていて、オーガニックなモノや自然療法などについて日頃から意識していたこともあり、自分たちの理想でもあった「自給自足生活の可能性と最適な環境」を探すために、当時、生活していた関東から西日本へ旅に出ました。 私たちは最初から島根を目指していたわけではなく、自分たちの想いや理想を叶えられそうな環境を探していたので、九州・中国地方など様々な土地を訪れ、自分たちの目で見て、光りを浴び、空気を感じ、その土地で暮らす人たちに話を聞きました。どの地域の人たちも優しく接してくれたのを今でも鮮明に覚えています。そしてその旅のなかで私たち家族が再会したのが島根県でした。


EPISODE 02島根県との再会

実は旅をはじめる一年程前の神在月に、神社巡りが趣味の私たちは出雲大社へ家族旅行に訪れていました。人とは不思議なモノで、目的や視点が変わると、同じ場所でも目に映るモノまで変わって見えてしまいます。 一年ぶりの再会を果たした島根県。私たち家族の目に飛び込んできたのは美しい出雲平野でした。その美しさに家族全員が心を奪われた日のコトは現在でも鮮明に覚えています。この土地でなら自分たちの思い描くライフスタイルが実現出来るかもしれない。そんな可能性を感じた瞬間でした。

それからは移住を実現するために必要な制度などを調べ、「UIターンしまね産業体験」という、農業・林業・漁業・伝統工芸・介護分野に活用できる体験制度を利用することで、私たち家族の島根での生活がスタートしました。 産業体験はとても便利な制度なので、移住や地方での生活、農業・林業・漁業・伝統工芸などに興味のある人には是非、利用してもらいたい制度です。

産業体験について詳しくは「しまね移住情報ポータルサイト くらしまねっと」をご覧ください。


EPISODE 03島根町野井へ

産業体験の中から、私がいちばん初めに「挑戦」したのが漁業でした。理由は「苦手なモノから終わらせたい」その気持ちだけだったのです。なぜなら当時の私は「カナヅチ」でしたので(笑)。その体験で出会ったのが現在も私たち家族が暮らす「松江市島根町野井」。この漁港に産業体験を活用して来たのは、私たちが初めてでした。 漁港の人たちは「カナヅチ」の私に海のコト・漁のコト・泳ぎ方(笑)。そして、漁師として生計を立てていくために必要なコト。自分たちが何十年も積み重ね身につけてきた財産を、ひとつひとつ丁寧とは言えない言葉で、愛情を持って教えてくれました(笑)。

「元カナヅチ」が初めて海に潜った時に見た島根町の海の中は本当に綺麗で、自分自身が浄化されていく感覚になったのを覚えています。 自分の選択肢から最も遠い存在だったはずの漁業。海の美しさと漁港と地域を守るおじさんたちのカッコ良さに惚れ、新しい人生を「元カナヅチ漁師」としてスタートさせることを決意しました。


EPISODE 04現実との直面から
見えた価値観

島根町野井の漁業は「素潜り」「岩牡蠣養殖」を軸としておこなっています。漁業をしていると季節によって様々な魚と出会うことができます。スーパーの棚や家庭の食卓に並ぶ時には、知っている魚でサイズも見た目も綺麗にそろっていると思います。 漁師になり、自分たちが生活することだけでなく、美しい海を守りたい、夜空に星がキラキラと輝くこの環境を守りたいという想いが強くなっていた私たちは、経験が浅い「未熟者だからの気づき」に取り組みました。 食べると美味しい「誰も知らない魚」の存在。数がそろわない、食べづらい、サイズがバラバラ、扱いづらい。そんな理由で廃棄されていく魚を目の当たりにした時は衝撃でした。もちろん経済性を軽視するつもりも批判するつもりもありません。ただ、こんなに美味しい魚が在るというコト。その海の宝の存在を求める人が市場には必ずいるという想いから、タカベなどの未利用魚の販売に取り組み、現在では多くの人たちに喜んでもらえています。

島根町野井で捕れた未利用魚

また、全国的に漁師の高齢化が深刻化しています。それは野井の漁港も例外ではありません。野井地区は90世帯、約200数十人の小さな町です。私たちが営んでいる岩牡蠣養殖の施設も、閉鎖せざるを得ない状況になっていたのを、これまで町を支え、積み重ねてきた文化をなくしたくない、自分たちが町に活気と賑わいを創っていきたいという想いから事業継承させていただいたものです。 岩牡蠣を育てるのは海で畑をやっていると言うとイメージがしやすいかもしれません。島根町の美しい海のミネラルをたっぷりと含んだ岩牡蠣は3年かけて育てます。育てた岩牡蠣を、移住する前に働いていた会社の先輩や同僚に送って、みんなが美味しい!と喜んでくれた時は、なんとも言えない喜びを感じました。自分たちは元気でやっている。「漁師って、漁業っておもしろいですよ!」と、ちゃんと伝えられたコトが本当に良かったです。 漁業の魅力、地域の魅力。私たちが知ってもらいたいコト、伝えていきたいコト、残したいコトが、日々暮らしていく中でどんどん明確に見え、膨らんできました。


EPISODE 05海と暮らして

自給自足、物々交換の生活を目指して移住し漁師をしていますが、電気・ガス・水道などの光熱費、スマートフォンやインターネットなどの通信費など、生活していくうえで当然お金は必要になります。そういう部分でも私たち家族に「海の仕事」はピッタリでした。漁師は自然が相手の仕事なので天候などに左右され思うようにいかないこともあります。一方でスムーズに行うことができれば、まとまった時間で集中しての業務となり、メリハリの効いた余裕のある生活リズムがおくれます。もちろんお休みもあります。早く終わった時間を有効活用し、現在の永幸丸の事業に取り組んだり、あとは家族、子供たちと一緒に過ごす時間に使ったり、野菜を自分たちが食べるくらいの規模で作ったり。自然と関わり楽しむという「贅沢な時間」を大切に、家族みんなで幸せに過ごしています。 横浜での会社員時代は家族が寝た後に帰宅することも多く、家族との時間を満足に持てることが少なかったのですが、漁師という仕事は、私たち家族が大切にしていきたいコトと生活に必要なコトのバランスが良く、元々早起きが得意だった私にとっては、理想的なライフスタイルを実現させてくれていると感じるコトが多いのです。


EPISODE 06自然との共存共栄

海にはやれるコトが多い。私たちは漁師からはじまり、現在では「岩牡蠣・魚介の直送便」海産物直売所と飲食店「永幸丸ROCK OYSTER TERRACE」「漁師町のお宿つる」クルージングやサップなどの「マリンアクティビティ」と幅広く事業を展開しています。自分たちがアクティブに動き、体験してもらうことで、「漁師という仕事」「海との生活」「贅沢の価値観」などを知ってもらうキッカケを作れば、地域の産業を守り、自然環境を守っていけることに繋がると考えているのです。私たちは実際に暮らすコトで、自然と関わるコトの幸せ・感謝をより深く知るコトができました。共感してくれる仲間もできました。いまはまだ小さいこの輪が、大きく育っていくコトを信じて、私たち家族と仲間の挑戦という名の航海は続いています。